オフ明け寸前にあわてて2005シーズンを振り返る・PART1

そういえば振り返ってなかったわ!と思ったので、今頃になって書いてみる。

2005年は、初めて年間通してスタジアムに通った*1ので、チームの変遷というものを肌で感じることができた。
「何だかスタジアムに行くたびに勝ってばっかり♪」と浮かれていた04年後半とは違って、開幕後しばらくの間ぜ〜んぜん勝つことができず、最下位にまで落ちた時は焦った。やっと勝てたと思っても、次節ではorzとなることも多かったし。あの頃は、1勝の重みというものをしみじみと噛み締めていたっけ(遠い目)。

始動直前、山○に出て行かれた時は本当に落ち込んだ。なかなか代わりの選手が加入しなかったこともあって、勝てなかった頃は「おまえのせいだ○瀬」などと、女の腐った奴みたいにうじうじと考えたりすることも実はあった。はっきり言って、5月に対戦するまで吹っ切れなかったぞゴルァ まあ、今でも彼に対する思いは非常に複雑で、「PK外したんだ…プ」と嘲笑することもあれば、「今度はヘルニアで手術!? 膝をかばって腰に来ちゃったのかなぁ」と心配することもあったりする。
それに加えて、シーズン途中にアルパイ、エメとの別れがいきなりやって来るとは、夢にも思わなかった。2人には、ただただ感謝の気持ちでいっぱいで、今でも素晴らしかったプレーの数々や、試合前後の愛すべき仕草などをとても懐かしく思い出していたりする。
8月にロビー&トミーが加入したこと(&達也が離脱したこと)で、縦に速いサッカーからボールをキープして回す戦い方へと変化したのは、私みたいな素人目にも明らかで、チームって生き物なんだな〜と改めて実感した。トミーは本当に、風のように現れて、風のように去って行った感じだった……天皇杯優勝は、ほんと彼のおかげだと思う。

それと、去年は全然得点の匂いがしなかったセットプレーで結構点を獲っていること(バモ闘莉王! ほ・り・のうち! マーリッチ!)、鬼門だった日本平や瑞穂で久々に勝てたこともいい要素だった。逆に、駒場ではなかなか勝てなかったこと、ここぞという時に勝負弱いこと・腑抜けた試合をしてしまうことは、どうにかならないもんかと思った。順位が上向きになってからの後半戦はそれが顕著で、特に万博での試合終了後の喪失感は、ものすごいものがあったっけ……。


そんな感じで、嬉し泣きしたり負けて号泣したり別れが辛くて涙したりと、スタンドで泣くことがとても多かった気がする05年。参戦できたレッズの試合は、リーグ戦28試合(H17/A11)、ナビスコカップ8試合(H4/A4)、天皇杯4試合、PSM3試合の計43試合*2。遠方アウェイは3月の神戸と万博くらいで、ほとんど行けなかったのが残念(新潟、日本平、エコパも自分的にはロングアウェイなんだけど、そんなことを言ったらブーイングを喰らいそう(汗))。
シーチケ増席の煽りを喰らって、私みたいにサポ歴の浅い人には遠い存在になってしまったかと思った駒場。結局、用事があって現地にも行けなかったナビスコ予選第1節(J1初のさいたまダービー)以外は、心優しい方々に主に現地でチケットを譲っていただけて、参戦することができた。何度も書いてるけど、これは心底嬉しかったなぁ。どうもありがとうございました。

*1:04年は4月からだったけど、毎試合参戦できるようになったのは6月以降なので

*2:それと、レイソルマリノスvs.バルサといった他チームの試合に5試合。計48試合