『古代日本の女帝とキサキ』(49/100)

昨今の女性天皇は是か非かという議論については無関心、でも古代史に登場する女帝は大いに興味がある。何冊か読んだ中では『女帝と譲位の古代史 (文春新書)』『女性天皇 (集英社新書)』の2冊が面白かったのだけど、これもなかなかだった。

古代日本の女帝とキサキ (角川叢書)

古代日本の女帝とキサキ (角川叢書)

女帝は何故7〜8世紀に集中して現れ、以後途切れたのか? その理由と、女帝の立場の変遷について検証を加えた本。
大王(天皇)の正妃(皇后)を「キサキ」とし、7世紀の女帝(推古、皇極=斉明、持統)が全員キサキ経験者、8世紀の女帝(元明、元正、孝謙=称徳)がキサキ経験者ではないことに着目、キサキに求められた役割の変化と女帝のあり方とを結び付けているのが面白い。
6名8代の女帝、光明皇后、そして女帝にはならなかったキサキ3名*1について、ほぼ1名につき1章を割く形で取り上げられているので、読み応えも充分。


本書の一番大きな特徴は、よく言われる「女帝は男子の皇位継承者が決まるまでor成長するまでの中継ぎ」という説に、真っ向から反論していること。各女帝が就任に至ったのは、キサキ時代の政治的実績を買われて、もしくは過去の女帝たちの実績によるもの、という考えを著者は貫き通している。
それと本書では、女帝が「封印」された理由として、道鏡事件に代表される称徳の暴走に加えて、井上皇后(聖武天皇の娘)による夫・光仁天皇の呪詛容疑事件のことを挙げている。井上は天皇位への野望を抱くあまり光仁を呪い殺そうとした……というのはすごい憶測だと思いつつ、この事件をきっかけに皇后から政治的権限が剥奪され、皇位継承者を生むことのみを求められるようになった、とするのはなるほどね〜と感じた。


主観の多さ、憶測が過ぎることを指摘する声もあるようだけど、個人的にはそれほど気にならなかったなぁ。「蘇我入鹿聖徳太子」とか「天武天皇新羅人」(苦笑)といった、斬新過ぎてトンデモじみた説に比べると、本書の解釈や新説は納得させられる部分が結構あった。ただ、以下の2つの説は、個人的にちょっと無理があるような気が。

  • 元明は息子・文武天皇の死で急遽即位したのではなく、以前から即位することが予定されていた。それは以前の女帝たちの実力と実績が評価されたことによるもの。
  • 称徳が道鏡天皇に擁立しようとしたのは気の迷いではなく、他戸王(聖武の孫)が成人するまでの「中継ぎ」のつもりだった。

*1:用明天皇の正妃・穴穂部間人皇女孝徳天皇の正妃・間人皇女、天智天皇の正妃・倭姫王