日記では判らないアンネ一家の実像(10/100)

学生の頃の私にとって、『アンネの日記』は年に1度くらいの割合で読み返す、バイブルのような存在だった。でもここ数年は、手に取ることも忘れていた。

アンネの伝記

アンネの伝記

アンネの父の実家フランク一族、母の実家ホーレンダー一族、フランクフルトやアムステルダム、あるいは強制収容所でアンネ一家と交流があった人々、潜伏生活を支援していた人々らに綿密な取材を重ね、日記だけでは判らなかったアンネ一家の姿を浮き彫りにした力作。日記にはチラリとしか出てこなかった人物の「その後」まで掲載されている。
特に、日記では「物分かりの悪いお母さん」扱いされていたエーディトや、アンネが嫌っていた隠れ家の同居人プフェファー氏(日記ではデュッセル氏)の思わぬ一面を知ることができたのは大きかった。収容所で家族と引き離され病に倒れてからも、エーディトが「娘と夫のために」と食糧に手をつけず貯め込んでいたとは。あの気難しいデュッセルさんに恋人がいて、ミープ*1を介して手紙を送り続けていたとは。
加えて、「ファン・ダーン」(隠れ家でアンネたちと同居していた一家の姓)や「デュッセル」などが、アンネが日記を発表する時に備えて考えていた偽名だったというのも初めて知ることで、ページを繰るたびに「そうだったのか!」の連続だった。
一家がユダヤ人制裁措置を逃れてドイツからオランダに移住する際の経緯、オットーの事業が上手くいかず苦しんでいたことも詳しく書かれ、アンネよりもオットーやエーディトの年齢に近づいてきた私には、彼らの苦労が重く感じられた。もしも彼らと同じような事態に直面したら、私は同じようなことができるだろうか? 娘2人にほとんど苦労を悟らせずに乗り切ることができるだろうか?


そして、1998年に、日記の欠落分5ページが新たに発見されていたということに驚いた。この欠落分を巡って、オリジナル原稿をアンネの父オットーから託されていたアンネ・フランク・センターの男性と、アンネ・フランク財団との間でもめごとがあったのだそうな。うーん、全然知らなかった……


アンネの日記について新たに判ったことは多かったものの、やはり、ナチスが何故あのような狂った行動に走ったのかまでは判らず(判る人など誰もいないだろう)、改めて、なんで?どうして?と、やりきれない気持ちにさせられた。

*1:隠れ家生活の支援者の一人